【ADHDの大学生】不安定な精神状態で親にできることとは
ADHDの人は幼少期から忘れ物、失敗、場に合わない言動などで、周囲や親から𠮟責されることが多いため、自己肯定感が低く心や体の不調を抱えやすい傾向にあります。実は私もADHDについて無知だったので、娘が幼い時は、片付けをしないことに苛立ち、度々𠮟っていまいした。それは頭ごなしに「なんで片付けないの!お母さんは片付けないことが一番嫌い!片付けられないなんておかしいんじゃないの!!」と娘自身を否定するような言葉を投げかけることもありました。学校でも家でも叱られ続けた結果・・・娘は心を病んでしまいました。
ある日「死にたい」と言い出す
高校2年生の春休み明け、突然「死にたい」と訴えるようになりました。突然・・・と言ってもそれまで順調な学生生活を送ってきたわけではありません。中学受験をし中学校に入学すると、小学校からエスカレーター式に進学してきた同級生の方が多く、その中に溶け込むのは相当困難だったようです。
入学したばかりの頃は友達もでき、安心していたのもつかの間、しばらくするとADHDという特性により同級生からは「変な子」というレッテルを貼られ、浮いた存在になってしまったようです。中学生くらいの時は「みんなと同じ」ということが人間関係において重要であることがほとんどのなかで、ADHDである娘は「みんなと同じ」ことはできないのです。同じようにしたくても「できない」のです。後で聞いた話しですが、友達がいない、いわゆる「ぼっち」だとますます仲間はずれにされるので、お昼休みなど長い休憩時間は地獄で、友達を探しているふりをして廊下を徘徊しているか、トイレの個室で息を潜めて休憩時間が終わるのを待っているかの毎日だったそうです。
そんな辛い中学生生活も耐え、高校へ進学した後は、色々な中学校から進学してくる同級生の中で、人間関係もリセットされ新たな生活を送れるのかな、と私も期待をしていました。
精神科を受診しようと決意したきっかけは
「死にたい」と訴えるようになってから、「どうして生まれてきたんだ」「こんなに辛いのにどうして生きなければならないの」という言葉から始まり「親のエゴで私は生まれてきた。子どもが苦しむことを考えなかったのか。ただ子どもが欲しいという浅はかな考えで私のような欠陥品を産んで責任は重大だ」と親を責め、毎晩深夜2時頃まで苦しい言葉を浴びせられる日が続きました。彼女は絶望に満ちた表情で、時には泣き叫び私を罵ったり、苦しんでいました。私はというと「生きてほしい」「欠陥品なんかじゃない」と娘が言うことを否定し続けるしかなく、彼女が安心して納得できる決定的な言葉も見つからず、途方に暮れていました。学校にはなんとか通っていましたが、夜になると死にたい気持ちと、どうにもできないやるせない気持ちが湧き上がってくるのか、その思いを私にぶつけてきます。
1ヶ月くらいそのやりとりが続いた頃、私の力ではどうすることもできないと思い精神科の受診を決意しました。正直「精神科」と聞くと暗くて怖いイメージがあり、そこに自分の子どもを連れていくなんて・・・と受け入れがたい気持ちがあったのは事実です。ですので、「死にたい」と訴えるようになってから、頭の片隅には精神科の受診があったものの、なんとか私の力で改善できればと、精神科の受診に踏み込めなかったのです。
精神科/心療内科を受診するには
ある日、いつものように「死にたい」と訴える娘。その日は深夜から朝方まで続き、学校へ行ける状況ではありませんでした。私は意を決して娘に「精神科を受診してみる?」と問うと、娘は泣きながら「受診したい」と答えました。私の決意は固まりました。すぐにでも受診をさせたいと思いましたが、精神科/心療内科の受診は、ほとんどが完全予約制になっています。以前から調べていたクリニックに電話をしても初診は2ヶ月先の予約と言われてしまいました。精神科自体があまりなく、その中でも娘に合うクリニックを・・・と口コミなども確認しながら、他にも問い合わせてみましたが、やはりすぐ診てくれるクリニックは見つかりませんでした。せっかく受診を決意したのに・・・すぐにでも診てほしい状況なのに・・・私は半ば諦めそうな気持ちになったものの、その時はどうしてもすぐに受診させたい気持ちが強かったので、インターネットで探し続けました。そして車で1時間ほどかかりますが、口コミも悪い評価ばかりではないひとつの病院をみつけ、早速電話をしてみました。電話は相談員さんにつなげてくれました。今の状況を説明したら、とても親身になってくれ、今日は難しいが週末に受診できるよう調整してくださることになりました。精神科は怖いと思っていましたが、一気に救われた気持ちになりました。
精神科の受診~検査まで
週末、予定通り予約をした病院に向かいました。受診を決めてから、娘も辛い気持ちから救ってもらえるのではないかと期待をしているのか、落ち着いた日々を過ごしていました。もちろん明るくはありませんが、深夜の訴えがなくなりました。
初めて訪れた精神科病院ですが、院内は明るく広く清潔感のある内装で、待合室にいる患者さんも精神疾患を患っているようには見えず、いたって普通の病院の風景で、私が抱いていたイメージとは全く異なる光景でした。
受付を済ませるとまず小さな個室に案内され、そこで私と同じくらいの年齢であろうかと思われる、女性の相談員さんとこれまでの経緯、困っていること、心配なこと、辛いことなどを丁寧に聞かれました。おそらく電話で応対してくれた方と同じなのか、すでにノートに電話で話した内容がびっしりと書いてありました。ですので、私が電話で話したことを患者である娘に、ひとつひとつ確認し娘の気持ちを丁寧に聞いてはメモをとる、というようなかたちで進められました。最初、親の私がいては娘も本心を話しにくいのではないかと、離席しようか申し出ましたが、娘がそのままいていいと言うので同席しました。
その後、医師の診察で心理検査をすることになりました。診察はとてもあっさりしたもので、私も同席したはずですが、正直印象に残っていません。
診察が終わると、若くいかにも優しそうな女性の心理士さんに案内され、「箱庭」のある個室に案内されました。心の中で「あ、これドラマで見たことある」と、今いる状況が現実離れしたものに感じられました。娘が精神科を受診している実感がなかったのだと思います。その心理士さんから、検査は3日に分けて行うこと。その際担当する心理士さんは自分ではないこと。検査の日程の予約をしていくこと。検査の簡単な説明をされ、予約をとって初めての受診は終わりました。
娘は終始落ち着いていました。「担当の心理士さん、あの優しそうな心理士さんが良かったな。」などと、話しながら帰りました。
暗く長いトンネルからようやく抜け出せるのかな、受診をして本当に良かった、と心の底から思いました。
今思えば受診を渋っていた理由は、精神科が怖かっただけではなく、自分の子どもが「発達障がい」だということを受け入れたくなかったのだと思います。娘が小さい時から何か違和感を感じていました。娘の様子をインターネットで調べると「ADHD」の症状と酷似していました。調べれば調べるほど当てはまることが多く、「娘はADHD」であるという確信がどんどん膨らんでいきました。それでもなんとかその事実を否定しようと、当てはまらないことを探すのに懸命でした。私はADHDの娘を受け入れることができなかったのです。受診をして検査をすれば、その事実を第三者から突きつけられることになるわけですから、それが怖かったのだと思います。私が最大に後悔していることでもあります。
自分の子どもがADHDでは?と感じたら
現在、文部科学省の調査によると発達障がいの児童は小学校の通常学級で1クラスあたり3人程度いると言われています。発達障害の可能性がある児童生徒の約4割強は配慮、支援を受けていないそうです。
子どもが発達障害の可能性があると感じたら、まずは地域の発達支援センターに相談することをおすすめします。そのうえで「療育」「発達支援」を受けられるか確認しましょう。
「療育」は障がいや障がいのある可能性がある子どもを対象としたサポートです。適切なサポートや配慮を受けることで、将来的な自立を目的としています。療育を受けることで、できることが増え、成功体験を積むことで自信が持てるようになり、自己肯定感を守ることができます。サポートの中には、対人関係や集団行動など、社会の中で生活していくために必要な社会的能力を養うソーシャルトレーニングなどもあります。
私は自分の感情を優先し、娘が高校生になるまで外部の機関に相談することができませんでした。今でも時々「小さいときに相談し、適切なサポートを受け、自分自身も発達障がいの知識を持ったうえで子どもに接していたら、娘はここまで自分を否定し、苦しむことがなかったのではないか・・・」と考えます。
正解は分かりませんが、確実なことは「専門家に相談する」ことです。家族だけで解決しようとしても本人のみならず、家族の心と身体までも疲弊してしまいます。
今、お子さんのことで悩んでいる方がいらっしゃいましたら、まずは相談することから始めてみてください。
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